咳、鼻づまり、胃の痛み、頭痛、どうもこんばんわ、僕です。
土曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日は、神奈川からでてきたともだちと、秋葉原にいってまいりました。
週に六回秋葉原。うーん、マンダム。
明日から歩行者天国が再開するということで、どのお店も、明日セールをするという張り紙を出していました。
あの事件からもう二年半たったんですね。当時は二度と再開されないかと思ったんですが、人間とは忘れやすい生き物だということなんでしょう。
こういう「再開」がされるといつも考えるのですが、遺族はどう思うんでしょうか。
二度と同じことがおきないように、再開しないでほしいと思うのか、それとも、歩行者天国出会ったこと自体が今回の事件の問題点ではないから、再開して、早くもとどおりになってほしいと思うのでしょうか。
うーん、僕には想像もつきません。
事件があった翌々日、僕は秋葉原にいました。
いま働いている会社の二時面接に、当日朝秋田からの夜行バスで東京駅についた足でそのまま秋葉原にに向かっていました。
テレビで見たことのあるニュースキャスターの人が交差点で、大きな声で、事件の説明、遺族への慰めるの言葉を言っていました。
また、事故現場とされる、交差点のかどには、たくさんの花と、飲み物や食べ物といったお供え物が置かれていました。
お供え物は、増え続ける、こともなく、界隈にいるホームレスのいい食事になっていたようですが、、、
僕はニュースキャスターの姿、お供え物を見ながらまるで自分がテレビの中にいるんじゃないかと錯覚したものです。
あれから二年半、自分でいうのもなんですが、立派な社会人になったと思います。
世間は、リーマンショックから格差社会について、声高に叫ばれるようになりました。
一つの凄惨な事件は、加害者、被害者、また遺族以外には、時間を区切る一つの目印でしかないのではないでしょうか。
僕は、この交差点のことをおもいだすたび、面接の前日に秋田でみた竿燈まつりの美しさ、夜行バスの座席の感触を思い出す。
ただ、それだけでしかないのだ。
人間とは、悲しいなぁと思いながら、秋葉原を後にした。
月曜日会社に行く時、交差点のかどにはお供え物がおいてあるだろうか。
もし置いていなかったら、なにか食べ物でも買って(できれば冷めても美味しいものがいいね)置いて行こう。
偽善かもしれないけど、自分でそうしたいからそうするんだから許してほしいな。