今日の善行は明日の蓄え

コスパだけを考えて生きています。

ディア・ドクター



邦画大好き僕です。みなさんこんばんわ。

なぜ邦画が好きか、明確な訳があります。
外国人の顔が全部同じに見えるから。
これにつきますね。

ネタバレで言いたいことがあるので続きで。 まんまブラックジャックに同じ話あったなと思って調べたら、
案の定何個かブログがヒットした。

hide-dさんのブログが詳しいのでリンクをはっておきます。
ブラックジャックのパクリ(?)疑惑はおいといて、映画の内容の話をしよう。


なぜ無医村で無免許医を続けたのか。
大きく二つに焦点を絞って話をしよう。
  1. 無免許医として偽って働いたこと
作中で香川照之が、他人の命を自分が握るということに快感を覚えるようになる。
と言うが、確かにそうなのかもしれない。
僕は経験したことがないので、それ以上のことは言えない。
ただ、これはもっと別のところで、商社の人間がよく言うメーカーで働きたいという意識に近いものがあるんではないだろうか。
もっとこういう商品があれば、こういう点が改善されれば、毎日そう思うのだ。
そんなときメーカーの人間だったら(これはイメージなんだけど)改善できるだろう、と。

仕事をするにあたり、上にのぼって、商流の最上位で働きたいと思うものだ。
医者と、MRにもそんなことが言えるんじゃないだろうか。
さらに言えば、"先生"という呼び方は人をおごり高ぶらせるすごい効能があるから、それも関係あるのだろう。

  1. 無医村で働いていること
人が困っているから助けたい。
多いに結構なことである。すばらしい。掛け値なしにそう思う。
その時自分に何ができるか。
それが彼、伊野の場合、医者をやるということだったのだろう。
当初は医者をやりたいという気持ちとここでやりたいという気持ちが半分程度だったかもしれない。
徐々にここで仕事をすることに意味を見いだしたのではないだろうか。
そうすれば、情がわき、あっというまに医者のタブーに手を出す。

劇中では描かれなかったが、
伊野が自分自身に語りかける場面があったんじゃないだろうか。
「もういいじゃないか。医者として仕事もできたし、金も貯まった。いつまでいたってどうなるんだ。いつかばれちまう。ばれる前に、あの患者が死ぬ前に逃げろ」

その結果、彼は逃げてしまった。
責任が終えなくなったからだろうか。
いや、患者に死んでほしくなかったから、逃げたんだと思う。
 
そう思えば、この映画はハッピーエンドだと言える。

どっちかといえばさ、ハッピーエンドの映画のほうがいいじゃん?
だめ?この考え方?