11年ぶり、2回目の退職です。正式には明日が最終日なんですけどね。
前職はブラック企業から大企業に転職だったので、何の未練もなく、ようやく人並みの生活がおくれるぞという喜びしかなかったですね。
そこから日本でも有数の大企業で早11年。最初はパワハラの(1日に100回近く死ねって言われる)上司の元で仕事のイロハを学び、いろいろな仕事を経験しました。
徐々にではありますが年収も増え、任される仕事も増えてやりがいもあったのですが、ここ数年は顧客や売上につながるためのアクションではなく、社内政治のための仕事の割合が増えてきたのが一番の不満点でしたね。
たしかに社内政治は必要です。会社は組織なので、人同士うまくやるスキルや根回しは必要です。ただ、必要以上にその組織に最適化された(横の部では通用しない)社内政治のためのスキルを身につける必要はあるのでしょうか。
人生100年時代といえば聞こえはいいですが、要は死ぬまでやることがないと早々にボケてしまうよという時代。
体がおしまいになるよにも、頭が先におしまいになってしまうんですね。
60歳になっても70歳になっても誰かに必要とされる人生を送らないといけないのです。
私の父は仕事を辞めた晩年、特に趣味もなく、テレビを見る日々で加速度的に老化してしまいましたが、幸い母には仕事がありました。
ここは書くと長くなるので、別稿にしますが、母は今も職場の同僚やお客さんに必要とされて、幸せそうに働いています。
過度なナルシズムかもしれませんが、まだまだ私がいないとダメだとよく言います。組織にとって本当にそうなのか、それが好ましいのかはわかりませんが、息子の立場としてはなんとありがたいことかと思うものです。
話を戻します。そんな歳を取っても誰かに必要とされる人間になるため、上司のための仕事ではなく、社会のさらにいえば、社会の弱者たる人たちのための仕事をするために今の仕事を辞めるのです。
大企業の課長までほぼほぼ手が届きそうな現在。あと半年も経てば名刺には課長という文字が刻まれたことでしょう。
取引のある会社からは花のひとつも届いたかもしれません。
でもいいんです。いや、正直言うとまだもったいない気もしていますが、この選択肢を間違いじゃなかったことにしなければいけないんです。
「あなたがここで働いているのはもったいないよ」
「もっと世の中のためになる仕事ができるんだからしなよ」
幾度となく言われてきました。
えぇ、やってやろうじゃありませんか。
四捨五入すればアラフォーになってしまいました。
私の人生はこれから山場になるでしょう。
自分は大器晩成だからと、目の前のチャンスを掴まない言い訳にしていましたが、それも辞めましょう。
ちゃんとやるをちゃんとやる。さぁ、明日がゴールでスタートだ。